不安定の中に身をゆだねるとは【ルノルマンカードカウンセリングセッション・横浜・渋谷・新宿】

メンタルヘルス
jill111 / Pixabay

 

こんにちは、マインドファシリテーターの橋本麗子です。

 

本日は、「不安定の中に身をゆだねるとは」についてお話したいと思います。

 

 

久しぶりのブログ投稿となってしまいました。

 

実は、お正月早々、

右手をケガしてしまい3週間の固定生活、1週間のリハビリでやっとだいぶ動かせるようになりました。

 

右利きなので右手が使えないというのは本当に不便です。

なにをするのも不自由で、

しかも、右手が使えないということで、食事を食べるのもストレス。

 

歩くのに片手が使えないのでバランスが取れず、

何度もあやうく階段を踏み外しそうになりました。

 

人の身体は、神が創ったもの。

その存在だけで完璧で、必要なものが必要なようにできているのですね。

 

 

 

今回、手が不自由なために、家族がたくさん助けてくれました。

 

RyanMcGuire / Pixabay

 

お料理も作れない、洗い物もできない、掃除も不便、

洗濯機の中で洗われた洋服を、パンパンと叩いて伸ばすこともできない。

 

ペットボトルの蓋を開けることもできない。。。

 

この家は、わたしがいなきゃ回らない、、なんて妄想に囚われ、片意地張っていたようです。

 

 

 

甘えること

不自由な手でやれることを選ぶこと

不自由な中でも喜びを感じるものがあること

自分は何もできないと受け入れることも

 

手をけがしたくらいで大袈裟な・・と思われるかもしれませんが、

 

しばし、不可抗力なおやすみをもらうことで、

つい無理をしてしまう自分を抑え、気付くことができました。

 

 

 

最近、わたしの周りで起こる出来事ひとつひとつとっても

人はひとりでは生きていない、と敏感に感じ取れます。

 

「わたしは孤独だ」と頑張って生きてきている人もです。

 

家という箱の中には、さまざまな人の手が関わっていて、

 

口にする食べ物にも、多くの命と人の手が加わっています。

 

それなのに、人は孤独という。

 

 

扉を開いて傷つくことを恐れ、

だれもわかってくれないと自分で扉を閉めてしまっただけで

 

その扉も、自分が創ってしまった妄想のひとつかもしれません。

 

 

goodinteractive / Pixabay

 

それに付随するかのように、

 

今月に入ってから、

同じようなお話を聞く機会に恵まれたので、こちらでご紹介させてください。

 

タイトルの

”不安定さに身をゆだねる”

 

人は、安心安定を求めます。

特に女性は、狩猟の時代の頃からの意識がDNAの中に刻まれているそうで、男性よりその思考が強いといいます。

 

夫である男性が狩りに出ている間、

力あるものが側にいない中

自分と子供を守るのが努め。

 

今のように、雨風を凌げる家があり、鍵をかけテリトリーを守れる空間がない場所があれば別でしょうが、

 

子供を抱え、自分の身も守る。

 

それは、天候であったかもしれないし、獣からだったかもしれないし、

他の部族であったかもしれない、男の欲望であったかもしれない。

 

どれだけ不安な夜を過ごしたことでしょうね。

その不安はきっと命との引き換えだったに違いありません。

 

そこから常に不安を感じる習性が残っているとはいえ、

 

今世とても恵まれた環境の中で

安心とはどこまで手に入れれば満足と思えるのでしょう。

 

 

だから不安を感じてはいけない、と説いているのではありません。

安心を得るために貪欲な自分を責めろと言っているのでもありません。

 

わたしも完璧主義なので、

常に完璧な状態を求めて動こうとしまいがちです。

 

それは、不安を埋めようと、がむしゃらに動いた結果であり、

だから今の自分があると思うとそこに良いも悪いも存在しないのですが、

 

 

問題は、その不安定さを伝えた場所が、

自分以外の人間からもたらされたものなのか、

自分の中から湧いて出てきたものなのかで大きく違うのではないでしょうか。

 

 

自分以外、他人からもたらされたのであるなら

いつまで経っても満たされることはない。

 

相手に、自分の足りないところを見つけ、非難することで、

自分の存在は正しく、守られたものあろうとする。

 

憧れ、尊敬しても、あの人だからできるので自分にはできないと自分を守る。

 

地位に求めれば、もっと上へといきたがり、

お金に求めれば、まだまだ足りないと無限に求める。

 

一方的な愛に求めれば、執着と束縛を生む。

 

それを不安定と呼ぶのなら、無限の欲望と隣り合わせなのかもしれません。

 

 

不安定、安定の区切り線は、

世間や親の思考や、これまでの経験で自分で決めたもの。

本当は、線なぞないのだと思います。

 

 

Georgex25 / Pixabay

 

わたしは自信がなくて・・・というお悩みをとても多くいただくのですが、

 

世間と自分の能力を比較しての言葉であったり、

自分の上を行く方との努力の差であったりしたら、

そんなのわたしも全く自信がありません(笑)

自信気にお仕事をしているように見えるそうですが、

自分の能力だけを見ているなら

どこまでいっても100%の自信も満足も安心も埋めることはできないでしょう。

 

 

一方で、他人と比較して生まれる不安ではなく、

 

自分の中から湧いてくる不安ならば、

対自分。

対命。

生きている限り、

最後召される時まで訪れるもの。

 

良い意味でのあきらめが加わり、

常に不安な自分は、不安定な存在なのだ、と受け止めることができるような気がします。

 

不安定でいることが当たり前で、人間に与えられた安心安全な場所なのだと。

 

 

LisaAttractLove / Pixabay

 

 

ちゃんとしなきゃ、

いい人でいなきゃ、

がんばらなきゃ、

がまんしなきゃ、

あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、

 

この世には、〇〇しなきゃ、が溢れてます。

 

 

そのすべてをしようとした時、わたしは壊れてしまいました。

そして、壊れた自分を情けないと責め続け、

ひとりで孤独と向き合っていきてきました。

 

孤独を大切に温めることで、別な意味で自分を守っていたのだと思います。

 

やっとそれを手放したいと望んだ時、

自分の足りない部分、

不安定な部分を、

補い、支え温めてくれる方たちが現れ、

わたしは不安定なまま立ち上がることが出来ました。

 

いい人でいることをやめ、

孤独だと思ってしまう自分を認め、だれか助けて!とSOSを出したら、

今、わたしの周りは信頼できる人に囲まれ

どちらかに倒れても、支えてくれるはずという”安心”を得ることができました。

 

 

今でも、心ざわつくことはあります。

だって不安定ですから。

 

ただ、

不安定でいる自分を、見てみないふりをすることも、必死で埋めようとあがくのもやめました。

あがけば、あがくほど

自分にとって不必要な感情や環境に身を置くことになると気付いたからです。

 

陰と陽が存在するように、不安定には安定が存在する。

 

オールだけを頼りに小舟を進めるのではなく、

オールがないからと必死で手で水を掻くのではなく、

不安から焦って立って、転覆するのではなく、

 

不安定な波に揺られながら、さて、小舟はどこへ向かおうとしているのだろうと

流れに身を任せながら、進める自分であろうと心がけることにしました。

そこには必ず安定があるから。

 

 

Kanenori / Pixabay

 

 

すべての人が同じである思いである必要はなく、

すべての人が同じ例えである必要はありません。

 

でも、命は限りあるもの。

人は命がある限り不安定な生き物であると考えた時、

どのように安定していたいと思いますか?

 

良かったら、聞かせてくださいね。

 

 

 

 

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