経済的に自立したいのに出来ない
こんにちは、心理カウンセラーの橋本麗子です。
ご結婚されている、されていないに関わらず
カウンセリングを受ける女性で出てくる言葉の中に
「お金が、、、」とおっしゃる方がほとんどです。
日本全体にも言えることかも知れませんが、
「お金」というものに対する価値観にすごく縛られているのです。
理由は?と聞くと
大抵の方は、
「欲しいと思ったもの、行きたいと思ったところに自由に動きたい」
「離婚したいけどお金がないから(自分では稼げないから)できない」
とお答えになるのですが、
それは、どのくらいあったら行動できますか? と聞いても明確な答えは出てきません。
これって、
いくらあれば余裕がある状態なのでしょう?
金額の目標、欲しいものが漠然としている限り、全てが漠然としてしまいます。
脳は本気にしません。
「お金があったら、やってみたい」
このように言う人は、実際、「お金」を手にしても動くことはありません。
根底にあるのは、
「お金」の問題ではなく、自分の「心のあり方」だからです。
なんの罪もない「お金」のせいにされてしまっては、
「お金」も味方になってくれなくなってしまいます。
欲求に対し気付いて欲しいこと
確かに日本は物価が高くて、物が溢れてて、
販売する人は買って欲しいから、あの手この手で魅力的に提供をしてきます。
次から次へと欲しくなる気持ちもわかります。
「お金がもっとあったらな〜」と思ってしまうのですが、
これって自分の軸で動いているでしょうか?
上手な宣伝に乗ってしまうことも、
「もっとこうなりたい!」という欲求の基準も
世間一般の比較対象だったりしてないでしょうか。
確かに欲しいもの、行きたい場所あると思います。
欲もあると思います。私もあります。
欲が悪いわけでもなくて、それが原動力になることは多々あります。
ただ、
その欲求が、人との比較した上で生まれた見栄やエゴであったり、
「自分には何か足りない」と心を満たすためのとは、違う場所にあると思うのです。
私もかつて自立=経済的に自立と思っていた
私もかつては、自立=一人で自活できる経済力を持つことと思っていました。
何十年も主人からもらうお給料の中で、
これ欲しいな〜と思っても素直に言い出せなかったり、
ましてや子供が生まれれば、そちらの方が優先になってしまうので、
自分の自由になるお金が欲しい、と常々思っていました。
「働いていない肩身の狭い」自分からも解放される、、、と。
ただ、正直、何十年も主人のお給料に頼って生活していた状態から
同じようにお金を得ようとするのは、余程の覚悟がないと難しいです。
年齢的に制限があったり、体力的にも女性は厳しかったりします。
それなのに、比較対象が無意識に”夫と同じ土俵”でした。
毎日通勤電車には乗れない、子供がいるから遅くまでは働けない、、
敵うわけないとすぐに諦めて、
自分は、なんて大したことない人間なんだと勝手に落ち込んでいたのです。
これも自由なお金というのが、
いくらなのか自分でもわかっていなかったのと、
「お金を生み出せない自分は価値のない人間だ」と思い込んでいたからです。
でも、心を学び、脳を学び、昔からの教えやたくさんのクライアントさんを通して、
自立という本当の意味にだんだんと気付いていきました。
自分で自分の価値を制限してはないですか?
このようなお仕事をしていると
お金の余裕があっても心が全く満たされてなく、
孤独な人と出会うことがあります。
パートナーとうまく行ってなかったり、
別なもので埋めようとしたり、
身体を大事にしていなかったり、、、
ありがちではありますが、それってお金は稼いでいても本当に幸せではないですよね。
お金があれば、その先なんとかなる!と思っている方もいるかもしれないですが、
今、なんとかなっていない人に、
その先の未来はなんとかならないし、
特に、心に感じている欠乏感は埋まることはありません。
実際に、その人たちは孤独で悩んでいるのですよね。
自分の中に足りないと思うものを埋める対照は、
「お金」が満たされることではないのです。
また、一方で、
自分の周りに、「お金」に対する不満を抱えている人で囲まれているとするなら、
それはあなたも同じ価値観でいると言う証になります。
「いまさら、、、」と言う言葉が出てきたら、
変わることへの抵抗に、自分で自分の制限をつけてしまっています。
丁度先日、久しぶりにママ友に会ったのですが、
「頑張って稼いでも、せいぜいこんなものだから。」というセリフが出ていました。
それって、自分は稼げるのはこの程度だと思っていない?
と聞いたら、「その通りだ」と。
自分は、これだけの価値だと自分で決めてしまっているのです。
子育ての生活を補うために働いている人、そんな風に感じてしまっている人も
多いかと思います。
自分の価値を、世間一般と言われてしまうものに合わせようとしてしまうのは、
この世でたった一人の自分に申し訳ないですよね。
未来と言うのは、今の延長上にあります。
今、足りないと感じているものは、未来も永遠に足りないと感じていきます。
だからこそ、
今感じている違和感は、今少しずつでも気付いて修正していきましょう。
目指したい精神的な自立とは
目指したい精神的な自立とは
経済的自立が自立ではないと気付いてから、私なりに考えてみたのがこちらです。
(私の考えなのでご参考で)
・自分の意思を尊重し決断していく
・自分の存在を自分が認める
・自分以外の人を思いやれる
・自分の身体を大事に感謝できる
・自分は生かされている存在と思える
カウンセリングでは、
その人の根底にある自分自身のセルフイメージに気付き、変えていくのですが、
実際、そこが変わっていくと
自分の周りの環境が変わっていきます。
それまでは、
「自分が自由になるお金が欲しい」
「稼ぐことで価値ある自分になりたい」
このように自分に足りないものを埋めるための手段だったので、
なかなか思うようにならない、ストレスを抱えていました。
でも、反対側を想像してみてください。
「欲しい、欲しい」と言う空気を出している人に、
人は悦んでお金を払うでしょうか?
ましてや、心と心が繋がれるような人は寄ってこないと思うのです。
以前、心理学において、人はストレスで得たお金は、
ストレス解消のために60%使ってしまうという話を伺いました。
悦んで払ってないお金には、負のエネルギーがかかり、
それを追い出したくて使ってしまうそうです。
せっかくお金をたくさん稼いでも、どんどん使ってしまう人は、
この流れができてしまっています。
お仕事の本当の意味は、「仕える事」と書くことからも、
誰かのお役に立てるよう仕えるのが、「お仕事」です。
悦んでもらえる事をしたから、お金をいただけるのですよね。
「お金」はあなたの価値を埋めるためではない、
そこを一番に忘れてはいけないと思うのです。
根っこにある本当に埋めたいものを見逃さない
経済的自立を求める背景には、
お金を稼ぐ=価値ある人という意識が脳の中に入っています。
資本主義の影響でしょうかね。
夫婦関係で起きる「お金の問題」の
こじれの根っこは、実は互いのコミュニケーション不足だったりします。
言ってもわかってもらえない、理解しあえない、
だからここから出よう、自立しよう。
最初は自分の価値を認めてもらえていない心の寂しさが、もっとずれ、
「だったら稼いでみろ!」
「誰が稼いでやってると思ってるんだ!」
きついですよね。私にも同じ経験がありました。
でも、コミュニケーションは、一人では成り立たないため、双方の問題です。
相手は自分の投影なので、
「わかってもらえない人」という頭で相手に接すれば、
こちらが選ぶ言葉も気持ちも相手に伝わり、「わかってもらえない人」を演じてくれます。
会話をどう捉えるかは、受け取り側の問題です。
「自分は稼げないから価値がない」と思っていれば、相手はそのように扱ってくれ、
そのような言葉を投げかけてくれているだけなのです。
忘れてはいけないのは、
私たちは、恐ろしいくらいの確率の中で命を宿った奇跡の塊のような存在で、
息をしてそこにいるだけで、一人一人誰かの役に立つ価値ある存在という事。
ましてや、紙幣は、後から人間が便利上の都合で作ったものに、
人が振り回されるなんて、とても悲しいと感じます。
だから、家庭を守る女性にこそ、大きな声で伝えたいのは、
自分の価値は、どうぞ自分でまず認めていきましょう。
自分から自分の価値を制限するのはやめていきましょう。
そして、相手には伝えたいことは言葉を飲み込まず、きちんと素直に伝えてみましょう。
自分の想像内の考えは、得てして自分だけの考えで、相手の真実ではありません。
私たちは依存して生きている
「依存」は悪いもの。
これも多くの方の脳の中に入っている前提だと思います。
でもね、私たちは、全て誰かに頼っているから命を繋げているのです。
口にする食材は、農家の人たちが一生懸命作り、
それを流通してる人販売している人がいて、その人たちが働いてくれている対価に
お金を払って手にしています。
蛇口から綺麗なお水がいつでも出て使えるのも、
電力を流して水を浄水して、パイプを繋ぎ、下水もしてくれる人がいるからです。
昔、香港に住んでいた時、台風の後は決まって泥水が水道から出てました。
お風呂のお水を貯めたら、そこに泥があったり、
洗濯機の蓋を開けたら真っ茶色に染まったシャツが出てきた時のショックったら、、、
日本はなんて優秀なのだと日本の素晴らしさに感動して、
早く帰国したい!!とずっと思ってました。
(お水が出るだけそこは感謝なのですけどね笑)
私たちは、誰一人誰かの力を借りないと生きていけない存在です。
みんな、依り(頼みかかる)所にして生きているのです。
依存に抵抗があるクライアントさんには、
それならば、全てのことに感謝して、
自分以外の人のお役に立てるよう手を差し出しましょう、とお伝えしています。
そこに見返りを求めれば利己になりますが、
利他になれば、悦びの循環は巡り巡っていくと思っています。
人間の身体は、血液が流れて循環していきますよね。
人も水も、お金も循環されていくから、淀むことなく綺麗なものが流れていきます。
依存が息苦しいなら、どんどん感謝でお返ししたらいい、そんな考え方はいかがでしょうか?
最後にまとめとアドバイス
私たちの意識の中には、まだまだ当たり前の信じ込みがたくさんあり、
それに無意識に縛られ生き辛くなっていると感じています。
私も気付くまで、たくさんの自分勝手な信じ込みに息苦しくなっていました。
本文の中にあった
お金を稼ぐ人がすごくてえらいもそのひとつです。
男性ならしっかりして、稼ぐのは当たり前
女性なら家のことをやって子供中心になるのが当たり前
でも、そんなものは、身体が病気になったり怪我をしたら、簡単に当たり前ではなくなります。
そこが人の価値ではありません。
また、お金を出せば、収入さえあればなんでも買えるが、
逆にお金がなければ何もできないと信じ込んでしまうようになったのかもしれません。
ここから先、AIが進めば職につけなくなる人も多く出てくるのでは?とも言われていますよね。
そんな中出来ること、絶対失われないことってなんだろう?と考えると
人としての心、相手への心尽くし、一人の人間としての尊厳だと感じてます。
人は一人では絶対に生きていけないのだから、
どれだけ感謝を回していくかが、
心を豊かに育て、もっと幸せになれる鍵だと思っています。
そこに必要なのは、「経済の自立」ではなくて「精神の自立」です。
そして、不思議なことに、、、
いえ、不思議でもなんでもないですね。
「精神の自立」を持って働いている人は、とても心にゆとりがあり、
人に慕われ、お金も巡っているのです。
心にゆとりのある人は、そばにいても穏やかですから、勝手に人が寄ってきます。
人が寄れば、お金も集まっていきます、
私も、そんな人たちから多くを学ばせてもらっています。
「お金を稼げないから自立できない」
ではなくて、
「自立してないからお金が巡ってこない」のです。
誰しもが大切な役を持つ、価値ある大切な人であることを
ご自身が忘れないで、
「本当の自立」とは何かご自身だけの定義を見つけていただけたらと思います。
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