こんにちは、心理カウンセラーの橋本麗子です。
よく聞くお悩みの中に、
「自分が好きではなくて」「自分が嫌いです」と言うお話があります。
これは「自己肯定感」につながるわけですが、
その気持ち、実はわたしが一番共感できるお悩みでもあるのです。
なぜなら、私も元々「自分が大嫌い」で、
どうしたら自分を好きになれるのか、
なぜ自分を好きだと言える人がこの世に存在するのか、全然理解できずにいました。
その私が、変わるきっかけとなってくれたのが心理学との出会いです。
じゃ、今は大好きなの?と聞かれると、
「自分が大好き」と答えるのは、どこかちょっと口幅ったい気がしていて、
それよりももっと
「自分が嫌いで苦しくて仕方ない」と言う状態から抜け出し、
日々穏やかに暮らせるようになった事が事実と感じているので、
本日は、私がどうやってそのような心境に変わる事が出来たのか、
カウンセラーとしての視点も合わせ、お伝えしようと思います。
自分が好きになれない人の背景
自分を好きになれなくなってしまった人の背景に見られる要因は、
クライアントさん含め、この3つがメインです。
自分の過去に強いトラウマがあり、消化できていない
「〜しなければならない」が多い完璧主義
他人の言葉や態度に感情を左右される
過去に大きなトラウマを抱えていると、
だから私はダメなんだと自己否定してしまったり、
こんな経験した(させらた)から、このようになってしまった
と自分の過去を受け入れることが難しくなります。
過去は、切っても切り離せない自分の人生の一部です。
それを受け入れられないのですから、無意識のうちに自分が嫌いになってしまいます。
また、親が極端に厳しい人であったり、
逆にいい加減すぎる人だったりすると
「〜しなければならない」という思いが強すぎてしまい、
自分に負荷をかけていきます。
「〜しなければならない」という言葉の裏には、
「本当は自分は望んでないのに、仕方ないからやらなくちゃ」という感情が
隠されているからなのです。
「仕方ないからやらなくちゃ」とは、
本当は望んでないのですから、自分の感情を見ないようにしたり、抑えたりしての行動ですよね。
自分の心に嘘をついているわけですから、それが積み重なっていけば、自分を好きになれというのも難しい話なのです。
しかも、
それが自分は、誰かのため、周りのために我慢してやっているのに、
どうして分かってくれる人がいないのだろう?
なんてループにはまってしまえば、、、
自分を認めてもらえない虚無感、
自分は我慢しているのに、好き勝手やっている人への怒りや嫉妬、
それがもっと強い感情へと流れれば、
つい批判的になったり、攻撃的になったりしてしまいます。
そんな感情など誰も好き好んで持ちたくないのですから、
自分はなんて心が狭いのだ、なんて責めてしまうことでしょう。
人は、「孤独」と言うのが得意ではありません。
心理学でも人の3大欲求は、食欲、性欲、集団欲と言います。
誰からも声をかけてもらえない、誰からも認めてもらえないと言う状況は
心が折れてとても辛いのです。
人が集まる所、それは家庭というプライベートな空間や
もちろん職場や学校など公の場ではなおさら
争いを避け、うまくやろうと無意識に動いてしまいます。
自分を嫌いな人は特に、
嫌われるという言葉に敏感に反応します。
人から嫌われたくない思いが強いので、
自分でも気がつかない間に、相手の気持ちに沿うように振舞おうとしてしまうのです。
自分がこうありたい、と言う気持ちに反して、
周りの空気、人の言葉や態度、顔色を優先してしまうのですから、
本当の自分は置いていきぼり、、、
そんなの自分が一番よく分かっているので、自分を好きになれなくなってしまいます。
とってもしんどいですよね。
母から受け継いだわたしの価値観
少しわたしのことをお話しします。
わたしの母はとても完璧主義でした。
母にも、そのようにせざるを得なかった生い立ちがあったわけですが、
今は、「その自覚はあったけど、もうこの歳でやってられなくなった」と言っているので
良い傾向と思って見守ってます(笑)
母も母なりに葛藤したのでしょうね。
その完璧主義のひとつに
「きちんとしなければならない」と言うものがありました。
母は地方の山間の田舎から東京の都会へと嫁いだのですが、55年以上も昔の話。
当時は田舎から東京に出るのは、外国に行くようだったそうで、
今は、海外に行くのは当たり前の時代ですから、感覚はきっとそれ以上かもしれません。
誰も知っている人のいない場所、それも田舎から見れば「危険」な東京に住み出し、
母は、都会の人間に田舎者だとバカにされないようと行動し、
騙されないよう隙を見せないようにしよう、
「きちんとしなければならない」と常に必死で緊張状態でした。
人は緊張状態を続けることは困難です。
案の定、東京に出てきた後から、身体を壊し続けるのですが、、、
それと合わせ、
必要以上の「しなければならない」は、ピリピリとしたエネルギーを発し、
その空気は、無意識に周りの人間にも巻き込み、最悪な場合強いていきます。
先ほどのお話の通り、
自分は本当は、そんな風にしたくないけど、やらなきゃ!と思っているのです。
必然的に、その目は、子供のわたしに執拗に向けられました。
あーしなさい、こうしなさい、
親の言うことは正しいのだから、全て言うことを聞きなさい
そんなことをしたら、世間になんて言われるか
そもそも「きちんとする」とは、とても曖昧な表現です。
何をどこまできちんとすれば正解なのか、
きちんと人と接すって?世間って?と
まだ小さな子供ですから、
母が言うこと、することが「きちんとする」と言うことなのだろうと判断し、従っていたのです。
でも、本当のわたしは、とても大雑把でいい加減。
その度に怒られるのですから、
その積み重ねは、
「自分で決める」と言うことをやめていきます。
「きちんとしなければならない」が苦痛で、苦痛で仕方なく、
「自分の考えでやりたい!」と願い続けていたのですが、
幼少期に一度脳に覚えこませてしまった習慣です。
苦痛だと分かっていても、習慣とは無意識なのでやめられない。
やめたくてもやめ方がわからないのです。
自分の考えでやってみよう!と思っても、
それを経験したことないので、不安で不安で仕方なく、
結局は、母の意見、周りの意見を聞いてしまい、
自分で決断したのかしてないのかわからなくなっていました。
そして、またこれが脳のトリックでして、
何度も繰り返してしまっているので、
何に対して苦痛や不安、苛立ちを感じているかさえも気付いてなかったのです。
「きちんとしなければならない」と思っている基準も、
自分の基準ではなく、母の基準に従い、
その上で「きちんとする」のが当たり前になってしまっていたのです。
自分の意思で決定して動いているわけではないのです、
しかも、周りに「きちんとしてない人」と見られないよう行動しているのですから、
人に振り回される自分が嫌いになりますよね。
自分の心の声を無視し、周りの人に対し、粗相のないよう無理して一生懸命頑張ってるのです。
今思えば、
人の基準なんて、人それぞれなのに、
自分の頭では想像も計算もつかないことばかりなのに、
だから、膨大な作業量を脳に課していたわけで、
疲れるし、だんだんと人に会うのが億劫になり、
そつなくこなせる人に嫉妬や嫌悪を抱いて
自己嫌悪になり、、、、
こんな風に育てた母が悪い!
本当悪循環を繰り返してました。
自分を好きになれるわけなかったな、と今ならわかります。
どうやって嫌いな自分を乗り越えたか
1)自分を否定しない
とにかく、どんな醜い感情を持とうが、どんなにきちんとできなかろうが、
その自分を許して受け入れることを徹底的にしました。
自分を否定する自分も、自分を許せない自分もです。
最初は、「他の誰かに認めてもらうことで自分を保とうとしている自分」に
気付いてもOK。
あの人ずるい、羨ましい、
人間だからそんな感情が湧いてくるのは当たり前、それも許せばいいのです。
醜い感情があることを神様も許しているのです。
と言うか神様の歴史を見ても、神でさえ持っている感情なのです。
それができるようになると、
他の誰かに認めてもらう事が、依存状態であると気付きます。
こんなに頑張ってる私を見て!こんなに辛い私の気持ち分かって!
私は私が嫌いなの、だからあなたが好きになって私の存在を認めて。。。
誰かがいないと自分を認められないのでは、その人がいなくなった時崩れてしまいます。
自分を好きではない人に、わたしの代わりにわたしを好きになって!
なんて実は虫の良い話ですよね。
これは、良く言う「自分に自信がない」と言う人も同じループにはまっています。
だから、どんなダメダメな自分でも
一番受け入れる味方は、最終的に自分であってください。
今は、たまたましんどい思いをしすぎて、自分を嫌いになってしまっただけですから、
少しずつ自分を知っていきましょう。
2)過去のトラウマに新しい価値観を得る
魂というのは、この世に体験しに来ています。
体験するためには、形のない姿では体験できないので、
肉体を持つ、それが今の姿です。
今世ではこのような体験をしよう、と
自分の体験に合わせた肉体を選んでいるのですから、
姿形、性格を他人と比べても外側に答えが出てくるはずないのですよね。
ならば、逆に、どうしてこの身体で、どうしてこの人生で、
どうしてこの親の元に生まれる必要があったのでしょう。
その答えは、人それぞれで、一つの正解はありません。
その人だけの答えしかありません。
それが今世での体験して学びたかったことなのだと思います。
わたしは、「自分をとことん嫌いだった」おかげで、
「自分をいうものを知ろう」と、心理学に出会えました。
わたしは両親によく叩かれたり、ヒステリックにされたのでトラウマもたくさんありました。
(トラウマがない人などいないのではないでしょうか)
ただ、トラウマをトラウマとしていつまでも抱えてしまっても先へは進めません。
トラウマを手放せる人、手放せない人との違いは、
そこに意味を持たせるか、持たせないかの違いだと思います。
脳は、思い出す度に、今起こっていることと判断する習性を持っているため、
思い出すたびに
「今起きている」と認識します。
そして、脳は現実とバーチャルの区別がつきません。
わざわざ、自ら何度も同じ体験を繰り返してしまっているのです。
それでは、生きている時間は限られているのに、大切な時間がもったいない気がします。
今、ここからどう変わっていけるかの鍵は、
自分しか持っていないからです。
トラウマは所詮過去の出来事、受け入れて、流して行きましょう。
3)〜しなければならないを手放す
「〜しなければならない」「〜すべきだ」
そんな言葉が出てきたら、自分の感覚を注意深く観察してください。
モヤモヤしたら、あなたにとって必要のない価値観です。
かつての「きちんとしなければならない」わたしは、
ご飯を作るのが苦痛の時も体調の悪い時もじっと我慢して作っていました。
でも、人間だから作りたくない時もあるのです。
今は、そのような時は、正直に「今日は作りたくないの」と家族に言って許してもらってます。
また、大元の母に対しても、母が何か注意してきても線を引くようにしました。
それは母にとって「しなければならない」必要なことかもしれないけれど、
わたしにとっては、やる必要性が感じないし、「やりたくない」ことだから」と。
わたしにとっての「やること」に一つずつ自分の意思を持つように変えていきました。
モヤモヤ、イライラは一つの判断基準になります。
自分の意思でやることは、苦しくないのです。
やらなきゃは、やらされている感があるからしんどいのですよね。
全て自分の好きなように!は、会社に属している人は難しいかと思います。
だから、その時は、しんどいかなと思うことでも、
そこに自分の意思とそれが誰かの役になっていると言う明確なビジョンがあれば、
「よし、やってみよう」と乗り越える事ができます。
自分を嫌いな人は、
自分を褒めることが苦手だったり、
自分の出来ないところ、やれてないことを見つけるのが、とても上手なのです。
そもそも、「~しなければならない」「~であるべきだ」のほとんどが
親からの価値観や世間体、過去のトラウマからの教訓で、
実は「それって本当??」「本当に〇〇べきなの?」って事が多いのです。
これまではそうだったかもしれないけれど、
自分を好きになる上で、この先必要ではないかもしれません。
誰かの基準ではなく、自分の思いに気付いていきましょう。
今日のまとめ
自分のことを嫌いな人の一番気付いて欲しい点は、
本当の自分の声をないがしろにしてきた事です。
周りの言葉、世間一般の常識、親からの価値観、
そちらを基準に合わせてしまったために、
だんだんと本当の望みとは違う偽りの自分を作り上げてしまったからです。
自分の気持ちに嘘をついているのは、自分が一番よく知っているのですから、
好きになれないのも当然です。
それこそ、世間の常識的考えで「嘘はいけないもの」と言う観念がありますから(笑)
でも、嘘は絶対悪いものかといえば、嘘も方便なんて諺もあるのですよね。
ひとつの表の信じ込みには、必ず裏の面もあります。
つまり、嘘をついている自分が嫌いと拒絶してしまうか、
嘘をついて頑張ってきた自分は愛おしいと思うか、も同様で、
どちらも真実。
大切なのは、だったら、これから自分はどうあっていこうか?だと思います。
未来は、どちらでも自分を選択できるのですから、
自分の意思で、
自分のあり方を選んでみてください。
自分の好きを選択してみてください。
これ以上むやみに自分で自分を傷つけるのはやめて、自分を知っていきましょう。
何かやってみたいと思うことがあるのなら、心のままに。
動くために必要なのは、理論でも理屈でもなく
たったひとつ「好奇心」です。
何かひとつの行動が、思考の枠を広げ、現実の枠を広げていきます。
自分の意思で動くことの快感を知ったら、
どんどん心が楽になり、自分を好きになっていくはずです。
そして、完璧主義な方は、つい大きな目標や順序を立ててしまいがちですが、
高すぎる目標は、達成できない自分を再び責めてしまう事にもなりかねませんから、
一歩進みながら、また考える、軌道修正したければする
そんな緩さを自分に許してくださいね。
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